みはら広告について

わたしたちは、三原の街ネタ・求人情報紙 MJ(みはら情報局)、三原の地域情報サイトMJ(みはら情報局)を中心に、チラシなど印刷物やラジオ番組など、あの手この手を使って、三原市内の事業所様の商売繁盛と、人手不足の解消を目的として活動しています。

そして、MJやラジオ番組、イベントなどを通じて、地元三原の市民の皆様に様々な情報や楽しみを提供いたします。

ちなみに『みはら広告』という社名…なんだか老舗っぽいクラシカルな名前ですが、実はまあまあ新しい会社です。

三原市内の事業所様と三原市民の皆様の応援をいただき、11年目に入ることができました。

 

【ロゴマークについて】事務所のある場所が、その昔、「浮城」と呼ばれた三原城の三之丸があったエリアということにちなみ、三原城跡の石垣をモチーフにしています。石垣の中に「ミハラ」の文字が見えますか?

会社概要


事業所名 みはら広告


住  所 〒723-0004

     広島県三原市館町1-3-23

     ハイクス浮城三之丸101号


ご連絡先 電話・FAX(0848)63-3133

     携帯   070-5305-3133    

メール  miharakoukoku@gmail.com

会社ホームページ https://www.miharakoukoku.com/

三原の街ネタ地域情報ポータルサイト https://mj-mihara.com/


設  立 2013年6月1日


事業内容 情報紙の企画・発行、求人情報の提供、各種印刷物の制作、イベントの運営、ラジオ番組の企画など


加盟団体 三原商工会議所 青年部会(令和5年度・6年度 会長)


取引銀行 広島銀行、中国銀行、しまなみ信用金庫、もみじ銀行


社員数  4名(パート含む)


代表プロフィール 住田 慶二郎

 

■学校は近いところばかり

1980年1月生まれ。三原市育ち。

自宅から校門までの距離よりも、校門から教室までの方が距離があった、近所の広島大学付属三原の幼・小・中学校に合計11年間通い、高校は自転車で10分の県立高校へ。大学はさすがに近所にはないので、どうせなら京都に住みたいと京都産業大学へ。アパートはもちろん大学の近くに借りた。

経営学部で学び、そこで身に付いたものがいま役に立っている反面、もっと勉強しておけばよかったと少し後悔もしている。

 

■卒業後は信用金庫に就職…が、やりたいことを見つけてしまう

大学卒業後は三原に戻り、これまた本店が自宅から徒歩5分の、しまなみ信用金庫に就職(入庫当初はかもめ信用金庫だった)。

そこで渉外係として、カブやスクーターに乗って営業活動に従事。

担当エリアを持ち、お客様の預金・貸金に関わる業務を行い、一般家庭の得意先では「奥さ~ん、ご主人の夏のボーナス、定期預金にしませんか?」なんてやっていたが、企業の得意先では、絶好調な会社、そうではない会社の内情・裏側を見ることができた。

詳しくは書くことは出来ないが、ここでの経験もいまに生きている。

 

Jリーグ、プロ野球、高校野球などが好きで、よく専門誌を買って読んでいた住田。

もともと文章を書くのが好きなため、読者投稿コーナーに「とあるサッカーの大会の決勝戦私的展望」を送ってみたところ、これがなんと採用。

謝礼を頂いて、そして何よりも自分の書いた文章が多くの人に読んでもらえる(たぶん)ということに、喜びを感じたのである。

この体験から「スポーツ関連の文章を書く仕事がしたい」と思いはじめ、6年勤めた信用金庫を退職。

 

そこから、スポーツ専門誌や新聞社などの採用試験に挑戦するが、そんなに甘いわけがなく、全て撃沈。

試験で必要な、ネタ集めに独自で取材活動を行っていたが、遠方で泊まりとなるとやはりお金もかかるわけで…。

 

■業界の知識と仲間を得た新しい職場

そんな中で、見つけたひとつの求人情報。

福山市に大手求人広告会社が進出し、営業所を開設するため新規スタッフを募集するというものだった。

主な仕事は営業だが、お客様に取材し、求人広告の原稿作り、キャッチコピーなども自分で考える仕事だった。

スポーツには関係ないが、文章に関わる仕事だし、信用金庫での営業経験も活かせる!ということで、その会社へ就職。

そこには、大阪の営業所からやってきた厳しくも優しい爽やかイケメンの所長と、自動車販売、呉服販売、学習教材販売など、さまざまなジャンルから中途採用で入社してきた、営業の猛者(もさ)たちがおり、開所したばかりの営業所を起ち上げるために、一緒に頑張ることになったのである。

 

お客様から注文を頂き、取材し、原稿を考え、その求人広告で「いい人が採用できたよ!」と喜んでいただけた時は本当に嬉しい反面、毎週発行される求人情報紙の紙面を埋めなければならないプレッシャーと戦いながら、同僚達と励まし合い、毎日遅い時間まで勤務したのは辛かったが、今となってはいい思い出だ。

 

そんな中で起こったリーマンショック。

求人広告業界はモロに影響を受け、結果的に営業所は撤退し、みんなバラバラになってしまった。

だが、いいことも辛かったことも、この会社で得た経験は、全ていまの自分の糧になっている。

ここで学んだことのおかげで、今の自分があるのは間違いない。

ちなみに、この会社の同僚達とは本当に仲が良く、今の職場はバラバラだが年末には必ず集まっている。

 

■その後、自ら起ち上げた『みはら広告』

さて、次の仕事を探さないといけない…家の隣はハローワークだから超便利!と思うわけなく、正直「30歳超えてるし、今からまた履歴書書いて、何社も面接受けてってキツいわ~」と思っていた。

そんなネガティブな気持ちの中で生まれたのは、「前職での経験を活かして、自分で三原の情報紙を作ればええじゃん!」というポジティブな方向性。

 

ということで、現在は三原の街ネタ・求人情報紙 MJ(みはら情報局)を中心に、チラシなど印刷物やラジオ番組など、あの手この手を使って、三原市内の事業所様の商売繁盛と、人手不足の解消を目的として活動している。

そして、市民の皆様に対しては、MJやラジオ番組、イベントなどを通じて、様々な情報や楽しみを提供していきたい。

 

ちなみに、三原高校が半世紀以上前に甲子園に出場した時のことを、当時の選手に取材した特集記事をMJに掲載。スポーツ関連の文章を書く仕事をしたいという想いをカタチにすることができた。

 

記事はコチラ↓↓↓

昭和29年(1954年) 三原が熱く燃えた夏~三原高校甲子園へ~ https://mj-mihara.com/topic/239/